【読書録】読み手を主人公にするフレームワークとしての三幕構成。『1冊20分、読まずに「わかる!」すごい読書術』

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読書術の用法

渡邊康弘 『1冊20分、読まずに「わかる!」すごい読書術』 (サンマーク出版, 2016)

1冊20分とは魅力的だが少々怪しいタイトルである。

個人的にはこの本の読み方はすごく主体的なので気に入ってはいる。

しかし、Amazonレビューは賛否両論だし、この読書術を試していいのかどうか迷っている人も多いだろう。

実際やってみたところ、メリットばかりではないと思うので、どんな状況に向いていて、どんな状況に向いていないのか、解説したい。

概要

この本で紹介されている読書術は「レゾナンスリーディング」という名がついている。ホームページもあるので貼っておこう。

レゾナンスリーディング
レゾナンスリーディングは、1枚のマップを通じて、あなたの読書をいまよりも、確実に速くそして記憶に残るものへと変える読書法です。『シン・読書術』渡邊康弘,サンマーク出版

レゾナンスリーディングの手順をざっと書き出してみると以下のようになる。

  1. 本を読む目的を定める
  2. 本をパラパラめくってざっと情報を頭に入れる
  3. 縦3分割したマップに曲線を描く
  4. 曲線上の気になるページから単語を抜き出す
  5. 本の中の気になる単語を追って問いを立てながらページを読む
  6. 行動計画をつくる

まぁ効率よく本の特徴点を拾っているので確かに20分で読めそうではある。

そもそも三幕構成とは

語りたいのは3の部分。3分割したシートの元ネタは「三幕構成」であると書かれている。

三幕構成 - Wikipedia

物語を三幕に分けるのは古代ギリシャの時代から行われてきた。 Wikipediaのグラフを見ればなんとなくわかるが、三幕構成の物語は主人公の状況が山あり谷ありで変化する。

といっても三幕構成が用いられてきた物語というのは、厳密にいうと、演劇・バレエ・オペラといった「経時要素のある物語」である[1]
だから小説ならまだしも、明らかに三幕構成で書かれていない学術書や技術書を三幕構成で読むなんてことに抵抗を覚えないだろうか。

だがこの(少々胡乱な)タイトルをよくよく見てほしい。読まずに「わかる!」とあるではないか。

勝手にそんな読み方していいんだろうか→いいんだよ

ロラン・バルトの『作者の死』という小論がある。

作者の死 - Wikipedia

作者だって色んな文化に触れ、色んな書物を読んで本を書いたので、
その本の解釈は「作者」によってたった一つ絶対に決まるわけではない。
むしろ作品の意味が煮詰まって一つになる場所は「作者」ではなく「読者」なのだ、という論旨である。

書かれたことは書かれたことであって作者の意図とは限らない。
国語の「作者の気持ちを答えなさい」問題を作者が間違えることがあるのはそのためである。
その「作者の意図を離れた作品」のことを「テクスト」という。

読書とは書物(テクスト)と読者(わたし)だけの宇宙に身を置くことであり、
「読書体験」は(読者を主人公とする)「経時的要素のある物語」である。

だから仮に書物が三幕構成で書かれていなくても、「読書体験」については三幕構成でグラフを描くことができる。

レゾナンスリーディングでは、シートに作者の顔を描いてから読み始め、心の中で作者に問いかけながら読むことになっているが、
ある意味その似顔絵は作者の「遺影」であると同時に、
読書体験という物語において読者(あなた)を導くキャラクターとして生かす行為なのかもしれない。[2]

主体性の代償

しかし思うに、このように主体的に読むことはまったくのノーリスクではない。

客体性の喪失

主体性を取れば客体性のほうは捨てねばならない。

三幕構成を意識して映画を見れば分かることだが、
そういう読み方をすると、「書物の世界にただ抱かれ、ひたすら受動的に楽しむ経験」の方は失われる。[3]

実際、小説の文体を楽しみたい場合にはこの読書法は推奨されないことが言及されている。
「自分」から解放されて作品に身を委ねることだって時には必要かもしれない。それを読書に求めている人にとってはしんどい読み方、って感じ。

誤読の可能性

いくら作者が作品の解釈を支配してないと言っても、作品の解釈として超えてはいけないラインがある。 「社会的にルールとして定まっている解釈を逸脱すること」である。これを誤読と呼ぼう。

例えば、法学では「善意」は「(ある事実について)知らないこと」、「悪意」は「(ある事実について)知っていること」を意味する。
こういう「普段使っている意味と全く異なる意味で使われている用語」が多く出てくる分野では、それを知らずに潜在意識フルオープンで本をパラパラしたときに誤った第一印象を刷り込まれ、誤読に至る危険性が高まるのではないだろうか?

もし読者(あなた)がまったく未知の分野の本を10冊読もうというなら、少なくとも最初の1冊の客体にくらいはなっておいた方が安全ではないだろうか?[4]

まとめ(この読書術の向き/不向き)

思うに、この読書術には向いているケースと向いていないケースがある。
それを心得て使えば有用だと思う。

向いているケース

  • 本を読む目的がある
    • アウトプットのための読書
    • 仕事のための読書
    • 何か行動を起こしたい
  • 能動的に読みたい・本に飲み込まれたくない
  • とにかく「読んだ」という既成事実が必要

向いていないケース

  • 娯楽としての読書がしたい・本の世界をじっくり楽しみたい
  • まったく知らない分野について最初の一冊を読みたい
  • 毎回マップを描く紙を用意するのが大変[5]

この記事に出てきた本

脚注

  1. だから同じく時間芸術である「映画」の脚本術に使われている。小説も一応時間芸術ではあるのだが、必ずしもすべての小説に適用できるのかは、私の中では保留にしている[]
  2. その場合のアーキタイプはメンターだろう。アーキタイプについては別途記事にするつもり[]
  3. あるいは薄味になる。他の人の作品を純粋に享受できるクリエイターが素直に羨ましい[]
  4. その最初の1冊は慎重に選ぶ必要があるので難しい……[]
  5. 私もこれが原因で挫折したが、スマホに専用の画像を用意して写真編集ソフトでグラフを書くなどできないものか?検討中[]
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