庭としてのブログ、街としてのnote(個人的な使い分け)

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noteとブログをどう分けるか問題

悩んだ末にnoteはじめました。

kiri-chan|note
生きづらさをテクノロジーや理詰めで解決する過程を共有します。「読んで、書く」がライフワーク。広汎性発達障害(診断済み)。レベルを上げて論理でたたかう。Amazon のアソシエイトとして、適格販売により収入を得ています

というのをブログに書くわけだけど、これはnoteとブログの使い分け方法をメモっておく記事。
noteとブログの使い分けにはやっぱり悩んでいる人がいるだろうから、一例として参考になればうれしい。

庭としてのブログ

何のためにブログを始めたか。自由に実験をするためだ。

道端で肉を焼いたり、ノコを引いたり、バッタ取って遊んだりするのはだいぶ勇気がいるけれど、庭先でならそういうことも気兼ねなくできるだろう。そういうことだ。
PHPの勉強のため、でもあるけれど、Webサイトにどういうトラフィックが来て、どういう不審アクセスがあって、アナリティクスをどう見て、というのは、やっぱり本番環境でないと分からない。

一方で、家の庭ってそうそうお客さんを呼ぶ場所じゃない。立派な庭なら別だけど。
他者との接点を求めるなら、たまには外に出た方がいい。

早い話が、「寂しくなってきた」ということだ。

パーティー会場としてのTwitter

じゃあテキストベースのSNSであるTwitterに出てこいと言われそうだけど、Twitterは敷居が高すぎる。

カクテルパーティー効果という言葉をご存じだろうか。
パーティー会場のようなガヤガヤした場所でも、自分に話しかけてくる人の声はハッキリ聞こえるという現象だ。
普通の人にはこれがあるから普通にパーティー会場で社交ができる。

だが、発達障害者には残念ながらカクテルパーティー効果が効かないことがある。
全ての情報が等密度で入ってくる。情報過多。自分に向けられた情報が分からない。混乱。コミュニケーション不全。

で、私の体は分かりやすく体調不良を起こす。
リアルのパーティーでも体調を崩しやすいので大人数のものはあまり行かないようにしている。

これはTwitterという文字の場も、大人数のDiscordでのチャットやWeb会議でも同じことだ。
だから、Twitterという場所そのものがおそらく向いていない。

街としてのnote

見たところnoteはそこまで密な場所ではない。
『街』と喩えられていたけど、適度に人や情報との距離がある。
速度も速くないし、1画面に表示される記事の数も多くない。

街歩きなら楽しい。
確かに家にいるよりは疲れるが、他人の生活や興味にちょっと触れるくらいならその楽しさとイーブンだから、できそう。

自分の生活の一部を他人と共有したいと思うなら、そのくらいがいいんじゃないか。
と仮説を立てた次第。

ブログとnoteの使い分け

暫定これ。

  • 自由にやりたいとき→ブログ
  • 感情を他人と共有したい・共感があった方がうれしいとき・脚注をつけなくていいとき→note

いつまで続くかな。合わないと思ったらやめます。

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